18日目 初めての落語鑑賞(立川志らく)
「最近何聴いてる?」
というフレーズ
音楽絡みの友達との会話で登場しがちだとは思うんですが
今その質問を投げかけられたなら
「立川談志かな」と答えるでしょう
きっかけはディスクユニオン、出来心で購入した「立川談志 ひとり会 落語CD全集 第4集」
収録されているのは「野晒し」「蔵前駕籠」「大工調べ」
古典落語の割とスタンダードなナンバーといったところなのでしょうか
談志さんの耳触りの良い声、その小気味良いテンポの語りに一気に引き込まれ、虜に。
気付いた時には「立川談志 ひとり会 落語CD全集 第一期」なる10枚入りBOXを注文していました。
これは談志さんが今の僕と同じくらいの歳、つまり29、30の頃の独演会の記録のようです。
これを1枚ずつ繰り返し聴いている内に「これは一度見に行かないと」という気持ちになりました。
とはいえ談志さんは既にお亡くなりになっている。ということで直系の弟子であり、最近はテレビでもよく見かける立川志らくさんを見に行こうとなりました。
なぜ志らくさんなのか
見たところ、ルックスが1番談志さんに近く、おそらく骨格も似ている、ということは今1番耳に馴染んでいるそれに近いものが聴ける可能性が高いぞ、と考えたからです。
完全に若き日の談志さんの影を追い求めてという、少し失礼といえば失礼な入り方ですね。
テレビで見かける姿も好印象であったという理由もあります。(ナイスフォロー)
ということで見てきました。
終演後、1番に思ったのは僕はおそらく古典落語が好きだなということです。
僕は漫才、特に関西の漫才がとても好きなのですが
落語に関してはなぜか上方落語ではなく江戸の立川談志にまずハマった、これはなぜか?
それはおそらく僕がそれぞれに求めるものが全く違うからじゃないかと
志らくさんのその日の演目は
「堪忍袋」「片棒」「黄金餅」
古典落語の中で、時代錯誤の言うなればSFボケ的なものを挟むことってよくあると思うんですが
そのSFボケの数が
「片棒」「堪忍袋」「黄金餅」の順で多く、片棒に関してはほとんど創作落語でありました。
そして僕の楽しめたランキングは
「黄金餅」「堪忍袋」「片棒」の順でした。
つまり僕はジャブ程度以上のSFボケは求めていなかったのでした。
僕が落語に求めているものは
その時代に則ったキャラ表現の巧みさと軽妙な語り、テンポ感
だと感じました。
お笑いというより情感豊かな音楽を聴いている感覚かもしれません。
「片棒」は話のベース以外は奇天烈な設定で、漫才でいうならコウテイのような。
しかし落語特有のテンポ感や、対象となる客層による影響等からか奇天烈な方向への走り方やキレ味が物足りなく感じてしまい、むしろ本来の語りのテンポ感やストーリーの流れ具合を邪魔してしまっているように感じてしまいました。
そういったキレてる奇天烈な要素は漫才でいいや、
と思ってしまったところはあります。
僕の中ではまだその2つは遠い。
以前テレビでまんじゅう大帝国という若手漫才師を見かけました。
そのボケの方の語り口が落語的なんですがツッコミがイマイチそれにマッチしておらず、1人で落語やったらええやんと思ってしまうことがありました。なんとかうまくクロスオーバーさせてほしいところ。
むしろその日出ていたミキの漫才の方が落語的でその地点に近い感じはありました。
逆に現代的なものを題材にした創作落語なんかにも興味が湧いたりしたわけなんですが
正直今のところ落語を見ていて大きく笑う瞬間はほとんどないんですが、終わった後に「めっちゃおもしろい」となる感覚は不思議ですね、圧倒的な表現の豊かさをじわっと喰らうような
志らくさんがM-1で、全然笑わなかったジャルジャルに高得点をつけたことにも通じる部分があるのでは、と思ったり思わなかったり
まあまだまだ勉強不足なので
それが故に感じたことをえらそうに記録しておこうという文章でした。
この文章が恥ずかしくなるくらいには
のめり込めればいいかなと思います。
しかしこれだけ書いておいて、のめり込まなかったとすればそれはそれで恥ずかしいやんけ。さよなら。